先日、大学時代のゼミの恩師が亡くなられたという知らせが届きました。先生は生前、特定の宗教を持たないと公言されていたこともあり、ご遺族の意向で葬儀は無宗教形式の「お別れの会」として執り行われることになりました。式の次第に目を通すと、仏式の焼香はなく、代わりに「献花」を行うと記されていました。これまで仏式の葬儀しか参列した経験のなかった私は、献花という儀式にどう臨めばよいのか分からず、正直なところ大きな不安と緊張を覚えていました。インターネットで作法を調べ、頭の中で何度もシミュレーションしましたが、本当にうまくできるだろうかという心配は拭えませんでした。会場に到着すると、静かなクラシック音楽が流れ、祭壇には在りし日の先生の優しい笑顔の写真が飾られていました。やがて献花の時間が始まり、私は前の席の人たちの動きを食い入るように見つめ、その一挙手一投足を記憶に焼き付けようと必死でした。ついに自分の番が来て、係の方から一本の白いカーネーションを手渡されました。その瞬間、花の重さ以上に、この行為に込められた意味の重さがずっしりと両手に伝わってくるようでした。震える足で祭壇へと進み、ご遺族に一礼。そして、先生の遺影の前に立った時、私の心の中で堰を切ったように様々な思い出が溢れ出してきました。研究に行き詰まった時に「君ならできる」と励ましてくれたこと、論文が完成した時に自分のことのように喜んでくれたこと、卒業後も気にかけて連絡をくださったこと。感謝してもしきれないほどの温かい記憶が次から次へと思い起こされ、涙がこぼれ落ちそうになるのを懸命にこらえました。覚えたての作法で、ぎこちなく花を時計回りに回転させ、そっと献花台に置きました。その瞬間、まるで先生に直接「先生、本当にありがとうございました」と伝えられたような、不思議な安堵感と温かい気持ちに包まれました。手を合わせ、目を閉じると、先生の穏やかな声が聞こえてくるようでした。作法が完璧だったかどうかは分かりません。しかし、あの短い時間の中で、私は確かに先生と心を通わせ、自分なりのきちんとしたお別れをすることができたと感じています。献花とは、形式的な儀式なのではなく、故人と静かに向き合い、自らの心を整理するための、かけがえのないパーソナルな時間なのだと、この経験を通して深く理解することができました。
恩師の葬儀で初めて献花をした日